女性デュオ その4(順不同)

nanamusica  ナナムジカ 心音 2007年
私にとってはかなり新しめの曲です。と言っても5年ほど前のTVドラマの主題歌らしいですが私は見てないのでどんなドラマなのかも知りません。
ただ、本当に良い曲だと思います。彼女の声がまた良いからだろうと思います。
一つ残念なのは、この曲は他の人の手によるもの(都志見隆さん作詞作曲)です。
私の勝手な音楽に対する考え方は、自分で作詞して自分で歌うというのがベストだと考えています。
なぜなら、言葉にできない詩の行間を理解しうる唯一の人だから、その部分もしっかりと伝えることができるだろうと思います、ま~表現力の有る無しも重要だとは思いますが。

youtubeの特攻隊の映像のBGMにこの曲が使われているのを観たことがあります。
人それぞれ感じ方が違うとは思いますが、違和感なく鑑賞できました。
きっとこの曲が持っている不思議な力なのだと思います。

余談ですが、CDなどは人の耳で聞き取ることのできない音域はカットされています、
レコードは人の耳が認識できない音域もカットされずにそのまま入っていると理解しています。
クリアで澄んだように聴こえるCDは、ノイズや不必要な音を極限までカットした純粋飲料、
かたやアナログレコードは音域の修正はほどほどな、おいしい水。
はたして心への浸透力はどっちが上なのでしょうか?
私は耳で聴き取ることができない音域は、違う器官がちゃんと感じとってくれているものだと信じたいですが、私の考えすぎでしょうかね~~~

youtubeは tak36 さんのUPから

River    Bruce Springsteen これを聴くとこころが疼く

Bruce Springsteen River    Bruce Springsteen 1980年
今回も、川にまつわる曲の紹介です。
30年以上前の曲だからだとは思いませんが、若い男女の悲哀を書いた曲の中、都会ではなく、自然が残る片田舎が舞台です。そしてキーワードが「川」という青春時代のかけがえのない場所。これはアメリカの国土が広いから今でも都会と田舎がしっかりと共存していてリスナーが今でも違和感なくイメージできる曲なのだと思います。
残念ながら今の日本では昔と違い価値観も変わりすぎて少々無理があるシチュエーションになってしまいました。携帯もゲームもなかった時代に野山で遊ぶのが普通だった青春時代、それを体験している今の中年以降の大人達と人生の苦渋を知る一部の若者だけがこの曲をイメージできるのではないでしょうか。不況で就職口がなかったり、まともに結婚式も上げられない若者たち、今ならそんな状況は理解するのに難しくはないでしょうが・・・・・
スプリングスティーンの悲しいハーモニカの音色で始まる曲、どうにもやりどころのない感情が
心の中で震えるようです。

訳詩付の素晴らしいtubeをリンクしておきました。

youtubeは ForestGump1107さんのUPから

河を渡るな Don’t Cross The River

america  Don’t Cross The River (河を渡るな)     AMERICA  1973年
「川」と「河」の違いを調べてみると、日本では「川」が一般的に使用され、中国では「川、河、江」などを使い分けてるらしいです。「川」は清らかでまっすぐなイメージ、「河」は曲がりくねっているイメージだそうです。
とまあ、うんちくはこのくらいで。
久しぶりに今日聴いた アメリカの「河を渡るな」という曲です。
歯切れの良いアコースティックなサウンドと、きれいなハーモニーが際立つ素晴らしい曲です。
ほかに、「名前のない馬」 「金色の髪の少女」などの曲が有名なバンドです。
ネットで訳詩をいろいろ探したのですが、これというのがありませんでした。
この曲のリフレインでは、「河を泳ぎ渡りきることができないなら、ほかの生き方を否定してはいけない~・・・・・・」てな感じみたいです。
どなたか、よい訳詩があれば教えてください。
ディープパープルなどのハードロックも悪くはないのですが、今の私の疲れた心が求めるのはこういう曲のようです。

「ちいさなぼくへ」 柴田淳 の効能は カタルシス(精神浄化)

sibajun  小さなぼくへ 柴田淳 2004年
90年以降の音楽の事を書くのはまれですが、とてもよい曲なのでご紹介。
前にも書いたことがあるのですが、彼女(柴田淳さん)が女性目線で思い描く「ぼく」という主語で歌われるこの曲がとても好きです。そして、この曲を聴くと胸が少々痛みます、身につまされる詩の内容が、私の半生をも、ちくりと刺すからなのでしょう。
もし、「もう一度人生をやり直せるなら」などと、考えたことがある人は多いと思います。
小さいときに見えていたものや、感じられていたことが、今では見えないし感じることもできない、そのこと自体に気が付かないで大人になっていくことが普通なのだと思います。
親や周りの人たちにたくさんの愛情を注いでもらった子供時代、たくさんの夢や希望があったはずなのに・・・・・・どこに置き忘れてきたのでしょか?
あの子供時代の感情を思い起こすことはできても、それは心の外側で見せてくれる束の間の幻影のようなあやふやな記憶でしかありません。
ただ、まれにこうした曲を聴くと、デジャブのように、ある一瞬が強くよみがえることがあるのですね。
今の自分をこの歌に重ね合わせると、もう胸が押しつぶされそうで、たまりませんが、
充分にカタルシスを感じられる、私にとっては貴重な曲です。

(youtube は shibajun0157 さんの作品)

 

ANAK  (息子) 

anak Anak (息子) Freddie Aguilar 1977年
当時、FMなどでよくかかっていました。杉田二郎氏のカバーで詩の内容も分かりました。
息子が生まれて幸せだった家族が、息子の成長とともに変化していく親子の関係、悪い道に進んでいくのを心配する親の気持ちを歌っている曲です。
いつの時代、国が違っても、子を思う親の気持ちは同じなんですね。

杉田氏の歌う「息子」は なかにし礼 さんによる訳詩ですが 原曲に忠実なのかどうかは私には分かりません。あと、加藤登紀子さんもカバーしています、双方に若干訳詩の違いがあるようですが、親が子の行く末を心配しているっという事を歌っているのに違いはありません。
子供時代の反抗期とは、誰しもが体験する通過儀礼のようなもの。ただその後の親子関係は非常に重要ではないでしょうか。腫れ物に触るように、接する親、子供たちと正面から向き合おうとする親、常に逃げ腰の親、全くの無関心を装う親、それぞれの家庭にそれぞれの事情があるのでしょうけど、難しい問題ですね。 でも、どうして、悪い道に進む子供と、まっとうで親思いの子供とが生まれるのでしょうか?  もっと先の人生で、両者が正反対になることだってあるのは、なぜ? そんな疑問を残しつつも、この曲をかみしめて聞いてみてください。

Freddie Aguilar フィリピンの歌手 anak タガログ語で「息子」の意味

sugita  杉田二郎 「息子 anak 」 (youtube は yumefro さん さんの作品)

kato  加藤登紀子 「息子 anak 」 (youtube は vmscmt5 さんの作品)