手紙とメール

tegami_isayama  手紙  諌山実生
この曲を聴くとき、私の心は浮遊を始めます、でもちゃんと帰ってきますよ(笑)。

手紙とメール。

この二つ、同じ文章を伝えるツールですが、文字や、言葉から伝わる想いは雲泥の差があると思います。
書き手の思いは、行間に宿り、読み手の心を深く震わせる、それが手紙です。
読み手は意識することなく自然に行間から書き手の意思を知ろうとします。

メールでは、なぜかたびたび誤解を生じさせるのはなぜなのだろうか?。
長々書いた文章より、語尾につける絵文字のほうが今の気持ちをストレートに伝えている。
絵文字がないと、怒っているのか、喜んでいるのかさえも伝わらない。
感情の機微が希薄にしか表せないのがメール。 もともとデジタルですから、
感情というアナログ因子が入り込む余地はないようです。
キーを打つ行為と筆を走らせる行為、そこにある違いは圧倒的な個性と、非個性。

まぁ~うまく使い分けろってことですね。

「永遠の0(ゼロ)」 を読んで

eiein_no_zero 「永遠の0 (ゼロ)」 百田尚樹

「永遠の0(ゼロ)」を読み終えて10日ほどが経ちました。
著者の処女作であることを読み終えたあとから知りました。
この物語の柱は、「特攻隊」、「約束」、「生と死」でしょうか、
物語の流れ的にはどんどん引き込まれていくような内容になっています。私の買った本が、何版も版を重ねていることを考えると、かなり人気の書籍だったのだとわかりました。
amazonでの書籍へのコメントが大変多いのにもその人気の程ががうかがえます。
ネタバレになるのは本意ではないので、詳しくは書きませんがあまり戦争や特攻隊なのど知識がなくても、それなりに楽しめる作品に仕上がっていると思います。
amazonのコメントの中にはなかなか辛口のコメントをよそせている人もいますが、
戦記や、歴史書、ノンフィクションではないのですから、
作者の文章から膨らむ想像や自らの感情の起伏を楽しむことが良いではと思います。
私も戦記物やゼロ戦についての書籍は何冊か読んでいますが、それが有る無しにかかわらず楽しめる作品だと思います。
なにも「シーザーを知るのにシーザーである必要はない!」と私は思うのですが、それは人それぞれでしょうね。
この作品では戦争・特攻隊などについて今各自が持っている知識だけで十分楽しめる作品だと思います。興味があれば、そこから他の書籍を読むこと、これも読書の醍醐味だと思います。

私の思うマイナス点は、限られたページ数だとは思いますが、
最後に待っているエピソードの布石の為にも、特攻隊員たちそれぞれの人物背景や心の機微を表現する為に、よりページを割いてもっと人間的厚みを与えていれば、より心揺れ動く作品となっただろうと思います(私の独断)。
あと、特攻隊というものに対してステレオタイプ的なイメージが今ではもう違うような気もしますが、これはあくまで、私の感想です。

最後の最後に待っているドラマに、読み解く中では予想もできず、ただただ脱帽。
読書中の電車の中で 不覚にも涙と鼻水が~~ やばっ!

前に進もう!

ytup_w 流星 吉田拓郎

~加筆修正~
tubeの音源がブロックされたので、本家の拓郎さんの曲にチェンジしました~
個人的には、葵さんのを聞いてもらいたかったんだけど、まぁ~大人の事情ってやつで、
こればっかりは、しかたない。

この歌の主人公は、孤独なのだろうか?
それも、自ら進んでそれを選んだのだろうか?

♪~~~こころをどこか 忘れもの ただそれだけで、つまはじき、
      幸福だとは言わないが 不幸ぶるのはがらじゃない~~~♪

~~余談~~
もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、ともに歩め。
それができないならば、愚かな者を道伴れとするなかれ。
悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の象のように。

(原文は「ブッダの感興のことば」)

学校の授業でもなく、参考書籍からでもなく、アニメからす~と入ってくる
このような珠玉の言葉。
日本のアニメはなんと素晴らしいのだろうか。
きちんと文化としてのステータスを国が認めたほうが良いと思う。
某国はアニメを文化として国がテコ入れするって話を聞いたが、
遅れをとらないようにしてもらいたいもでです。

youtubeは tk11jp さんのUPから

気遣うことで大人になる?

yousui  いつのまにか少女は  井上陽水 1973年

今回は、下の物語がさきで、それに見合う曲を探しました。
こういうことはなかなかないので、選曲と文章はミスマッチかもしれませんが。
私は陽水氏のこの曲が大好きです。彼のどこからこのような曲ができるのか
今もって不思議です。「帰れない二人」とかも良い曲です、当時(40年前)の
男女の思いを見事にトレースしていた曲だったと想っています。
今の恋愛観とはかなり違うとは思いますが、
しかし当時はそれでけで十分だったような気もします。

今回は多分にこじ付けた感は否めませんが、
大人びた少女にちなんだ曲としてお聴きください。

こんな短い物語ありました。

「秘密の金魚」

ある女の子がいました。
その子は金魚を飼っていました。
ただ、その金魚を誰にも見せようとしません。
どうしてって聞くと、自分のお小遣いで買ったからと。
周りからは、変な子、変わったこと思われていました。
でも、本当はちがっていました。
金魚を見せなかった本当の理由は、もうすでに金魚は死んでしまっていたからなのです。
女の子は金魚が死んだことで自分が悲しむだろうって大人達に思われたくなかたから
だって、もう十分に悲しい思いをしたのだから。

(「攻殻機動隊」 ・ 「ライ麦畑でつかまえて」)より

この短い物語が心のどっかに引っかかっています、気に入ってるって言えるのかも
しれません(笑)。
きっと大人たちへの気遣いという理由ではないのだと思います、ならどうして?。
私にもうまく説明はできません。
なので今はまだ謎ということで答えを保留にしておこうと思います。

こんな気を使う子供はいないだろうって、今では孫がいる知り合いの女性に聞いたら、
形が違うけど、そんな気遣いをする子供もいるそうです。

「躾、体罰、愛の鞭(無知)」、今の恵まれた子供達にはどれが受難と言えるのだろうか?

yutubeは tubebear7 さんのUPから

スポーツと武道の狭間で

JUDO

 

いろいろと騒がれている柔道。
今から50年ほど昔、柔道がJUDOになる前の最後の姿
師弟の関係だって、こんな時代があったのです。
どちらの時代がよいのでしょうか?
今、昔。

興味のある人は 神永 ヘーシンク でググッてみてください。

~追記~
サッカーでは審判に見つからないように、相手選手のジャージを引っ張ったりして
邪魔をしたりしますよね、あれってスポーツにおける正々堂々とか、スポーツマンシップとかに
てらしていかがなものなのでしょうか? ルールの範疇なのでしょうが、
あれを子供たちにはどう教えるのでしょう?
審判に見つからなければ何をしても良いって勘違いはしないのだろうか?
ん~~~~~~私には判らない、
道を教える武道にあっては、あり得ないこと。
だから、学校や、会社では、勝ち負けを競うスポーツ種目の「JUDO」として。
街の道場では「柔道」として、または武道として礼儀や生き方を含めて、勝敗は二の次でそこに至るプロセスを大事に教える、そう住み分けたらよいのではないでしょうか。

 

 

youtubeは senouoさん のUPから